46.コードは誰が決めるのか?

別に、クラシックが嫌いってわけじゃないのです。 演奏を聴けば、感動もするし、「いいな~」なんて思うことだってあるのです。 でも私の場合、同じことを何度もすることが嫌いというか、すぐに飽きちゃうんですよ。

通常、クラシックでは、譜面通りに演奏します。 演奏する人は、基本的にそれを勝手に変えたりしません。

ところがジャズの場合は「変えていい」というより、逆に変えないで演奏することは、とても恥ずかしいことなのです。 演奏者は、その恥ずかしさに耐え切れず、コードどころかメロディさえ変えてしまいます。 つまり、ジャズを演奏するには、そういった編曲の知識や技術が必要なのです。 しかも、その習得には時間がかかるときています。 これがジャズの敷居を高くしている原因かもしれません。

だからといって、いきなりジャズの難しい理論書を買ってきても、最初の2~3ページを読んだだけで挫折してしまうことでしょう。 うんうん、すご~く分かります。私もそうでしたので。

でも、理論書を買うことは決してムダじゃありません。 私の場合、ピアノの下に積んでおいて、半年に1回くらいチャレンジしていました。 しかし、不思議なもので、それまで全然理解できなかったものが、分かるようになっちゃうときが来るのです。 それも、ある日突然に。

そうなってきてはじめて、理論書に書いてあることが使えるようになってくるのです。 だから、そんなにアセらなくても大丈夫です。人生は長いのです。

さて、世の中には、言われたことだけやってると、見えないことがたくさんあるものです。 例えば、表通りばかりを歩いていると、裏通りにある面白いお店は、絶対に見つけることができないのと同じです。 書かれているコードを、そのまま弾いていたのでは、どうしてそのコードが付けられているのかなんて絶対に考えもしません。

そこで、前々回で取り上げた「大きな古時計」を全部「Cのトライアードコード」だけで弾いてみましょう。 多分、やったことないでしょうね。 ところどころ間違えて、弾いちゃうなんてことはあっても、こんなおバカなことは普通しません。 それを、敢えて、あ、え、て、やってみましょう。

どうでしょうか?

実際に弾いてみると、ところどころ違和感や納得のできない不満みたいなものを感じませんか? 「ラ」の音がでてくるところは、Fを、「レ」とか「シ」が出てくればGのコードを弾きたくなりますよね。 多分、これが原因でしょうか。

そう、だからそのコードを弾くのです。 決して、書いてあるからそのコードを弾くなんて考えちゃダメです。 誰に弾かされるわけでもなく、自分がそのコードを弾きたいから弾くのです。

ジャズでは、そんな自分の感性を信じることが、とても大事なことなのです。 理論を基にジャズができたわけではなく、ジャズがあってそれに理屈をつけたものが理論になったのです。

しかし、理論ってのは「先人の知恵」でもあるのです。 例えば、「ほら、Cのコードを弾く前に、Gのコードを弾いたとき、次にCのコードを弾きたくなるあんな感じの~」なんてのを、覚えたり、特に人に説明したりするときすごく面倒じゃないですか?
それを「ドミナントモーション」って言えば分かるわけですから、確かに便利には違いありません。

もし、理論書を読んでみて分からないことがあっても、放っておけばいいのです。 それは、まだそのレベルに到達していないというだけのことです。 いろいろな曲やコードをたくさん弾いていれば、いつか分かるときがきます。 多分。

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